50万で読書

そうだ、本を買おう

角田光代『対岸の彼女』:そんなとこにあたしの大切なものはないの

昔から気になっていたけれど、読んでなかったので読みました。

直木賞受賞作でドラマ化もしていたよう。

 

 

すごく共感して一気に読んだので、あんまり俯瞰して分析とかはできない。

これから何回かきっと読むと思う。

 

主婦の小夜子と女社長の葵のパートと、中学時代の葵と友達のナナコのパートが交互に進んで行く。人付き合いが苦手な小夜子と、小夜子を殻から出してくれる葵。でも中学生パートでは、葵はむしろ小夜子と同じ側。いじめられて田舎に引っ越してきて、そこで出会ったナナコ。このナナコの言動は今の葵とよく似ている。

 

憧憬、嫉妬、ずるさ、同情。微妙な感じの距離感が描かれていてリアルだと思う

小夜子が強くなる物語で読後感もいいと思う

川の描写、よかった

 

 以下、抜粋

 

最近になって知った。しゃべることは、気持ちいいのだ。義母のことも、夫の不用意な発言も、口に出せば喜劇性を帯び、すぐに忘れられる。言わずにためこむと、些細なことがとたんに重い意味を持ち、悲劇性と深刻味を帯びる。

 

でもこれは、協定でも交換条件でもなんでもない。もしあたしが無視とかされても、アオちんはべつになんにもしないでいいよ。みんなと一緒に無視しててほしいくらいだよ、そのほうが安全だもん。だってあたしさ、ぜんぜんこわくないんだ、そんなの。無視もスカート切りも、悪口も上履き隠しも、ほんと、ぜーんぜんこわくないの。そんなとこにあたしの大切なものはないし

 

そんなナナコのうしろ姿を見かけるたび、葵はナナコの声を思い出すのだった。あたしなんにもこわくないの、そんなとこにあたしの大切なものはないの。実際そうなのだろうナナコの潔さに葵は強い憧憬を覚え、同時に理解不能な苛立ちも覚えた。

 

私たちの世代ってひとりぼっち恐怖症だと思わない?…(中略)

そ。お友達がいないと世界が終わるって感じ、ない?友達が多い子は明るい子、友達のいない子は暗い子、暗い子はいけない子。そんなふうに、だれかに思い込まされてんだよね。私もずっとそう。すっとそう思ってた。世代とかじゃないのかな、世界の共通概念かなぁ(中略)

ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね。

 

唐突にはじまった働くママバッシングにも曖昧な相づちを打ちながら、小夜子は既視感を覚える。既視感というよりも、それは記憶なのだとすぐに気づく、いくつも年齢を重ねたのに、机をくっつけて弁当を食べていた高校生のころとまったくかわらない。架空の敵をつくりいっとき強く団結する。けれどその団結が、驚くほど脆いことも小夜子は知っている。

 

手をつなぎ屋上から飛び降りた二人の女子高生が、なぜそれきり会わなかったのか小夜子はふいに理解する。連絡しなかったのではない、子どもだからすぐに忘れてしまったのではない。葵ももうひとりの女の子も、こわかったのだ。同じものを見ていたはずの相手が、違う場所にいると知ることが。それぞれ高校を出、別の場所にいき、まったく異なるものを見て、かわってしまったであろう相手に連絡をとるのがこわかった

 

なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げ込んでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。