50万で読書

そうだ、本を買おう

綾辻行人『十角館の殺人』:知的ゲームとしての文学

日本のミステリの名作として、いろんなところでおすすめされていたので

読んでみました。

「黴の生えた議論になりそうだけれども」

エラリイは云った。ひょろりと背の高い、色白の好青年である。

「僕にとって推理小説とは、あくまでも知的な遊びの一つなんだ。小説という形式を使った読者対名探偵の、あるいは読者対作者の、刺激的な論理の遊び(ゲーム)。それ以上でも以下でもない。

 だから、一時期日本でもてはやされた"社会派"式のリアリズム云々はもうまっぴらなわけさ。1DKのマンションでOLが殺されて、靴底をすりへらした刑事が苦心の末、愛人だった上司を捕まえる。ーーやめてほしいね。汚職だの政界の内幕だの、現代社会のひずみが産んだ悲劇だの、その辺も願い下げだ。ミステリにふさわしいのは、時代遅れと云われようが何だろうがやっぱりね、名探偵、大邸宅、怪しげな住人たち、血みどろの惨劇、不可能犯罪、破天荒な大トリック……絵空事で大いにけっこう。要はその世界の中で楽しめればいいのさ。ただし、あくまで、知的に、ね。」

この冒頭のエラリイの告白は、この作品の方向性を語るものともなっている。

「知的ゲーム」としての推理小説

 

いわくつきの孤島にある十角形の館。つぎつぎと殺されていく大学生たち。

おくれて届いた告発状。切り落とされた手首の謎。

 

一行で世界が変わるっていう前評判は確かにそうで、おお、っとなったし、

そして誰もいなくなった』の踏まえ方と裏切り方とか、 興味深かった。

 

ただ私は、「現代社会が産んだ悲劇」みたいのの方にもシンパシーがあって、なので

トリックはすばらしいけど、ちょっと動機が薄いのではないかという不満はあった。

 

 

収穫としては

 

・やはりテクストは先行するテクストを踏まえて書かれるものだよなぁ。推理小説というジャンルはとくに、そういう性質を強く持つことにはなるか。という感慨を得た。

 

・「知的ゲーム」としての文学とは、という問いを得た。私は「物語にはテーマがあるべきだ」という言説を見ると反発を覚えるし、「芸術のための芸術」みたいのにはわりと共感してしまう方なんですが、同時に、「知的ゲーム」に振り切られても、もやもやしてしまうんだなぁと思った。つまり、やはり人間を描いてほしいという欲求があるようで、うまく言語化できないけれど、このへんは継続して考える必要がありそう。

 

750円だったので、予算はのこり499,250円