50万で読書

そうだ、本を買おう

山内マリコ『ここは退屈迎えに来て』:コラムと小説のはざま(?)

タイトルが気に入って読んでみました。

デビュー作をふくむ短編集。

登場人物はある田舎町(といっても県庁所在地なんですが!!作品のなかでは田舎と呼ばれる)出身の若者たち。

 

東京に出て戻ってきた人、ずっとこの町にいつづけた人

働きたくなくてなんとなく大学院進学したもののって人(つまり大学院まである!!)

 

中学高校時代にアイコン的モデルとなるも、人気が廃れて、いまはこの町のスタバで働き、婚活にはげんでる人

 

プロのスタバ店員(?)としてスタバの店舗を転々としており(つまりスタバが転々とできるほどある)そのモデルに昔あこがれていて、昔はこの子「結婚とかしない」っていってたのになぁって思ってる人

 

どの話にも共通して出てくるのが椎名というクラスの人気者でだいたいどの女の子もいちどは憧れたでしょって感じの男の子で、大阪にでたこともあったけど今は地元の自動車教習所で働いてる(ゲーセンの店長のときもあった)

 

椎名がずっと好きでずっと一緒に遊んでて彼女みたいなもんでしょって位置にいたけれど、椎名が大阪にでちゃって、椎名と仲良かったメンバーで唯一地元にのこってる遠藤となんとなくヤっちゃってるけどって人

 

家庭教師の大学生の先生(親が反対して地元からでれなかったけど、一人暮しはしている)に憧れて、大学で東京に出る子

 

アメリカ人に生まれたらって思ってる子(いまは大阪の大学にいて、唯一のアメリカ人だけどあんまりいけてない女子留学生と仲良くしている)

 

16歳で処女を捨てなきゃって焦ってる子たち。この話がいちばんおもしろかった。受賞作らしい。結局、16歳でセックスしたけど、べつに気持ちよくもなんともなくて、オナニーしてると気持ちいいけど罪悪感で嫌な感じだから、セックスしなきゃってずっと言ってたけど、こっちの方が嫌な感じだよ、別に焦ってこんなのヤんなくていいよ。ってなる子と、16歳で庶女は捨てなきゃと強く思っていたけれど、男性器が怖すぎて、そんなある日淫夢を見て、夢でやったらいいんだよとかよくわからない主張をしだして、いつのまにか目覚めなくなり16歳を寝たまま過ごしたって子と。彼女は中学生のころ椎名がすごく好きで、ずっと憧れていて、淫夢を見ようっていうのも途中から椎名を夢にみたいっていうのに趣旨が変わる。椎名が夢にでてきた時の方が幸福を感じるから(椎名とはヤるとかそういうのではない、恋心と性欲はぜんぜん別物だと主張)。

後者の子は薫ちゃんというのだけれど、薫ちゃんがセックスしたのは結局25歳のとき。だからと言ってどうということもなく、16歳なんて、なんで私たちあんない焦ってたんだろうね、とかなんとか言う。そんなころ薫ちゃんはある日椎名とゲームセンターでばったり会う。かつてのオーラはなかったけど、なんか赤面しちゃって、逃げ出しちゃったとか言って。携帯の番号おしえてよって言われたのに、教えずに。薫ちゃんにとって椎名はどうこうなりたい相手という訳ではなくて、どうこうならないからこそ、ずっと初恋の憧れのままに、彼の姿を夢に見て幸福でいるっていう。

イロニーなのかもしれないけど(現実ではなんてことのない男に夢見てるとか(笑)っていう)、幻想でもなんでもいいじゃん、恋心つよし、いいねって思った。展開としては、急に淫夢とか言い出して目覚めなくなるっていうのがだいぶ力技だなとは思った。

 

なんか思ったより長く書いてしまいましたが、基本的には、この田舎町なじめないつまんない、いっしょに音楽を語れる人もいなくて。東京に行かなきゃ!って側の人たちのこととか、スクールカースト的に高い位置にいて、仲間もいるしわりと地元に残ってるけど、かつての輝きはなく、くすぶった感じになってたりする人たちのこととか。とにかくここは田舎だ!っていう意識を登場人物のすべてがもっているんですが、声を大にして言いたいことには、田舎じゃなくない!?!?

 

と過疎地出身としては思ってしまう。大学とかあるわけないし。スタバとかないし。かろうじてコンビニとファミレスがある程度ですよ。イオンは一軒ある。車で30分以上の距離ですけどね。

 

私はここで書かれているような都会に対するコンプレックスみたいなものは持ったことがないので、あんまり共感しなかったし、とにかく田舎じゃなくないっていう疑問はページをめくるごとに結構あった。(そこまでの田舎じゃなくて一応大学なんかもあって地元でずっとやっていくこともできるけどっていうところのほうが、こういう感じになりやすいんだろうか。私の地元なんかはだいたいみんな一度は外にでないと無理なので。学校も働くとこもないし。)

 

ただこの車を精神の自立と自由の象徴にするような描写は田舎のメンタリティーだと思って、共感した。なんか自分の車をもっと愛おしく思うような気持ちになった。

 

とりあえず車だ。移動手段だ。最悪なあたしに必要なもの。ロシア人の目にも明らかな。免許とって、親に借金して、中古車を買おう。それで、自分の行きたいところに行けるようになるのだ。椎名のことは忘れて。遠藤には頼らないで。

 その考えに辿り着くと、頭の中にある景色が浮かんだ。緑が溢れる初夏の山道をスピード出して走っている車。ハンドルを握っているのはあたしだけどあたしじゃない人で、助手席に置いたハンドバックの中には、必要なものがなんだって入っている。聴きたい音楽を爆音でかける。アクセルを踏む足元は、ヒールでもブーツでもない、歩きやすいフラットシューズ。その靴で気が向いたらひょいとどこにでも行く。

 

都会に出て、誰の力も借りずに、自由にのびのび生きたい。ちょうどまなみ先生が。あの深緑色のオプティのハンドルを握って好きな音楽をかけ、ギュゥンとアクセルを踏み込むようにーーあんな風に自分の船を自分で漕ぎたい。

 

 引用したのの上のほうはタイトルが「君がどこにも行けないのは車持ってないから」。この話もわりと好きだった。ロシア人漁師が風物詩みたいな扱いででてくるのにおどろいた、富山(作者の出身地)、そうなんですかね

 

***

以下、文体の話

 

まだ小説としてこなれていない感じで、

なんかコラムっぽいと思って特に最初の方は読んだ。

というのも私が真似事で書いてみたりする小説が

なんか似た感じかも知れないと思ったので

どのへんが小説らしくない感じがするのかということに

興味をもって読んだ。

 

とりあえずひとつには議論(?)部分が多いということがある。

議論というか実際にコラムに書いてあるような映画とか音楽とか

なにかしらのテーマについて云々するところ。

たとえば最初の短編の冒頭はこんな感じ

 

はみ出し者の女の子が田舎町を出ていく話が好きだと言うと、須賀さんは「俺が好きなのは、才能に溢れたアーティストがドラッグに溺れて友だちにも見捨てられて、最後は一人寂しく死んでいく話」と語る。才能があるのに家族に恵まれて仲間からも愛され、そのうえ健康で長生きまでされては困るというわけだ。須賀さんは地元のタウン誌をメインにもう7年ほどのキャリアを積むフリーカメラマンだけど、三十七歳のいまも「リトルモアから写真集だしたかった」だの「藤代冥砂が憎くて死にそうだ」だの言っている。私だって田舎町を飛び出したはみ出し者の女の子が、都会で居場所を見つけてすんあり幸せになられたんじゃちょっと困る。

 映画『ティファニーで朝食を』は、オードリー・ヘプバーンが長身のイケメンと可愛い茶トラと雨のなか抱き合うという、ものすごいハッピーエンドで終わる。ニューヨークで鳥のように自由に生きていたヒロインのホリー・ゴライトリーは、実は最悪の田舎町から脱走してきた南部出身のヒロインだけど、都会で幸せを見つけてめでたしめでたしというわけだ。大団円を盛り上げる名曲『ムーンリバー』に煽られてうっかり感動しそうになるけれど、ちょっと待てよと思う。なんか釈然としない。だって田舎町を抜け出したものの私は、何者にもなれず幸せも見つけられないまま、また元の田舎町に戻って、とうとう三十歳になってしまったんだから。

 でも、こういうのがある小説自体は私は好きだし、こういうのがあるからといって小説っぽくないとは思わないよなと思う。

 

たぶん場面描写が少ないのと、描写の速度が総括的というか、その場面にいる人が叙述しているというより、あとからまとめて書いていますっていう感じがありありとするのが気になるのかな。別にずっと密着した語りをする必要はないけれど、省略するにしても、もっと緩急つけた方がいいんじゃないかという風におもったんだと思う。下のような箇所がなんか下手だなと思ったところ。こういう感じで体言止めが多用されるんだけど(あと、〜という。というのも)それもインタビューコラムみたいな感じを助長してると思う

 

<飲みに行くのは歓迎だけど、昼はちょっと無理だわ。土日も仕事だから平日にしてくれるとありがたいんだけど>

なんの仕事してるの?と探りを入れると、自動車学校の教官という意外な答え。

 ペーパードライバー歴十年、もはやアクセルとブレーキの位置もわからないと返すと、

<じゃあウチの車校来て実習受ければ? 社割で教えてやるよ>という。

 そんなわけで来週の金曜、サツキちゃんとランチしたあと、一緒に車校に行って椎名に運転を教えてもらうことになった。<なんかよくわかんないけど楽しみ>と、サツキちゃんも快諾。

 

あとは、電子書籍版だからかもしれないけど、初出がついてないのも気になった。どの順番でどんな媒体に書いたかっていうのはわりと重要な情報だと思うんだけど。それで初出はないのに、なぜか参考文献はついているという。歴史小説でもない小説に参考文献つけるのは、なんか反感を覚える。それは小説は他の本に基づいて書かれるべきではないっていうことではもちろんなくて、見て聞いて読んできたものを十分に咀嚼して書くのが小説だろって思うから。この数冊からつくったの、まじで、そんなもんなのと思ってしまうというか…。参考文献つけるくらいならむしろ注をつけてくれと思う。この用語はこの本のこれを使ってますみたいに。この詩はこの本からです、みたいに。それなら納得する

 

 

角田光代『対岸の彼女』:そんなとこにあたしの大切なものはないの

昔から気になっていたけれど、読んでなかったので読みました。

直木賞受賞作でドラマ化もしていたよう。

 

 

すごく共感して一気に読んだので、あんまり俯瞰して分析とかはできない。

これから何回かきっと読むと思う。

 

主婦の小夜子と女社長の葵のパートと、中学時代の葵と友達のナナコのパートが交互に進んで行く。人付き合いが苦手な小夜子と、小夜子を殻から出してくれる葵。でも中学生パートでは、葵はむしろ小夜子と同じ側。いじめられて田舎に引っ越してきて、そこで出会ったナナコ。このナナコの言動は今の葵とよく似ている。

 

憧憬、嫉妬、ずるさ、同情。微妙な感じの距離感が描かれていてリアルだと思う

小夜子が強くなる物語で読後感もいいと思う

川の描写、よかった

 

 以下、抜粋

 

最近になって知った。しゃべることは、気持ちいいのだ。義母のことも、夫の不用意な発言も、口に出せば喜劇性を帯び、すぐに忘れられる。言わずにためこむと、些細なことがとたんに重い意味を持ち、悲劇性と深刻味を帯びる。

 

でもこれは、協定でも交換条件でもなんでもない。もしあたしが無視とかされても、アオちんはべつになんにもしないでいいよ。みんなと一緒に無視しててほしいくらいだよ、そのほうが安全だもん。だってあたしさ、ぜんぜんこわくないんだ、そんなの。無視もスカート切りも、悪口も上履き隠しも、ほんと、ぜーんぜんこわくないの。そんなとこにあたしの大切なものはないし

 

そんなナナコのうしろ姿を見かけるたび、葵はナナコの声を思い出すのだった。あたしなんにもこわくないの、そんなとこにあたしの大切なものはないの。実際そうなのだろうナナコの潔さに葵は強い憧憬を覚え、同時に理解不能な苛立ちも覚えた。

 

私たちの世代ってひとりぼっち恐怖症だと思わない?…(中略)

そ。お友達がいないと世界が終わるって感じ、ない?友達が多い子は明るい子、友達のいない子は暗い子、暗い子はいけない子。そんなふうに、だれかに思い込まされてんだよね。私もずっとそう。すっとそう思ってた。世代とかじゃないのかな、世界の共通概念かなぁ(中略)

ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね。

 

唐突にはじまった働くママバッシングにも曖昧な相づちを打ちながら、小夜子は既視感を覚える。既視感というよりも、それは記憶なのだとすぐに気づく、いくつも年齢を重ねたのに、机をくっつけて弁当を食べていた高校生のころとまったくかわらない。架空の敵をつくりいっとき強く団結する。けれどその団結が、驚くほど脆いことも小夜子は知っている。

 

手をつなぎ屋上から飛び降りた二人の女子高生が、なぜそれきり会わなかったのか小夜子はふいに理解する。連絡しなかったのではない、子どもだからすぐに忘れてしまったのではない。葵ももうひとりの女の子も、こわかったのだ。同じものを見ていたはずの相手が、違う場所にいると知ることが。それぞれ高校を出、別の場所にいき、まったく異なるものを見て、かわってしまったであろう相手に連絡をとるのがこわかった

 

なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げ込んでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。

 

綾辻行人『十角館の殺人』:知的ゲームとしての文学

日本のミステリの名作として、いろんなところでおすすめされていたので

読んでみました。

「黴の生えた議論になりそうだけれども」

エラリイは云った。ひょろりと背の高い、色白の好青年である。

「僕にとって推理小説とは、あくまでも知的な遊びの一つなんだ。小説という形式を使った読者対名探偵の、あるいは読者対作者の、刺激的な論理の遊び(ゲーム)。それ以上でも以下でもない。

 だから、一時期日本でもてはやされた"社会派"式のリアリズム云々はもうまっぴらなわけさ。1DKのマンションでOLが殺されて、靴底をすりへらした刑事が苦心の末、愛人だった上司を捕まえる。ーーやめてほしいね。汚職だの政界の内幕だの、現代社会のひずみが産んだ悲劇だの、その辺も願い下げだ。ミステリにふさわしいのは、時代遅れと云われようが何だろうがやっぱりね、名探偵、大邸宅、怪しげな住人たち、血みどろの惨劇、不可能犯罪、破天荒な大トリック……絵空事で大いにけっこう。要はその世界の中で楽しめればいいのさ。ただし、あくまで、知的に、ね。」

この冒頭のエラリイの告白は、この作品の方向性を語るものともなっている。

「知的ゲーム」としての推理小説

 

いわくつきの孤島にある十角形の館。つぎつぎと殺されていく大学生たち。

おくれて届いた告発状。切り落とされた手首の謎。

 

一行で世界が変わるっていう前評判は確かにそうで、おお、っとなったし、

そして誰もいなくなった』の踏まえ方と裏切り方とか、 興味深かった。

 

ただ私は、「現代社会が産んだ悲劇」みたいのの方にもシンパシーがあって、なので

トリックはすばらしいけど、ちょっと動機が薄いのではないかという不満はあった。

 

 

収穫としては

 

・やはりテクストは先行するテクストを踏まえて書かれるものだよなぁ。推理小説というジャンルはとくに、そういう性質を強く持つことにはなるか。という感慨を得た。

 

・「知的ゲーム」としての文学とは、という問いを得た。私は「物語にはテーマがあるべきだ」という言説を見ると反発を覚えるし、「芸術のための芸術」みたいのにはわりと共感してしまう方なんですが、同時に、「知的ゲーム」に振り切られても、もやもやしてしまうんだなぁと思った。つまり、やはり人間を描いてほしいという欲求があるようで、うまく言語化できないけれど、このへんは継続して考える必要がありそう。

 

750円だったので、予算はのこり499,250円

 

 

 

 

 

 

降ってわいた50万。そうだ、本を読もう。

或る日突然、おじいちゃんがくれた50万円。

 

ある目的をいつまでたっても達成できない私に

業を煮やしていたらしいおじいちゃん。

 

「そのためにやるんだけんね」

 

と釘を刺されました。

 

なんとなく手をつけられずに3ヶ月ほど預金したままにしていましたが、

とりあえず今の状況で、その目的のために、私ができることといえば

好きに本を読むことではないかと思い立ちました。

 

という訳で読書記録をつけようと思います。

なんでわざわざ記録をつけるかというと、

つづけるためと、備忘のためです。

 

プロジエクト名:50万で読書

予算:50万円

目的:乱読。世の中で読まれている本(基本的には小説)について知る。

当座の目標:つづけること。挫折しないためにまずは読みやすいものから読む。記録についても、内容を欲張らない。